復活節第3主日(ルカ24・13〜35)
- 2023/04/21
- 07:40
「主に話すこと」という種 私たちは、自分が悩んでいること誰かに話すことで、癒されるということがあります。さらに、それに加え良い勧めをいただくとき、新たな気づきをいただくことがあるのではないでしょうか。 きょうのみことばは、エマオへの向かう弟子たちにイエス様が出会われる場面です。みことばは、「同じこの日のこと、2人の弟子が、……エマオという村に向かって歩きながら、これらの出来事について語り合っていた。...
復活節第2主日(ヨハネ20・19〜31)
- 2023/04/14
- 07:59
「信じる」という種 今年の復活徹夜祭では、修道院で久しぶりに洗礼式が行われました。洗礼式の中でその方が、信仰宣言される時に司祭の呼びかけに「信じます」と言われた言葉を思い出し、信仰生活の歩みの中で「この『信じます』という言葉が信仰を育てていくのだな」と、その時のことを思い改めて【信じる】ことの恵みを感じています。 きょうのみことばは、ペトロともう一人の弟子が「空の墓」を見てイエス様が復活したことを...
復活の主日(ヨハネ20・1〜9)
- 2023/04/07
- 07:43
「信仰の目で見る」という種 私たちは、どのような時に(復活された)イエス様を感じるでしょうか。残念ながら、弟子たちのように肉眼でイエス様を見ることはできませんが、イエス様が身近にいることを感じることができるのではないでしょうか。『足あと』という詩があります。ある人がイエス様と浜辺を歩いている夢を見て、いつもは、自分とイエス様の足あとがあったのが、その人が苦しい時、悲しい時には、足あとが一人分しかな...
受難の主日(枝の主日)(マタイ27・11〜54)
- 2023/03/31
- 08:36
「弱さからの救い」という種 私たちは、時々自分の弱さに対して嫌になる時があるのではないでしょうか。「自分というものが見えず、人の意見に左右され、意に返さない方を選んでしまう」、「悪いこととわかっていても罪を犯してしまう」という悩みが出てくることはないでしょうか。そのような時、「私の弱さ」を振り返って【私を認め】、もう一度イエス様に「私を憐れんでください」と祈ることができたらいいですね。 きょうのみ...
四旬節第5主日(ヨハネ11・1〜45)
- 2023/03/24
- 08:10
「信じます」という種 私の両親は、父が先に亡くなりその8年後に母も亡くなりました。しかし、ショックはありましたが、不思議と悲しいという気持ちはありませんでした。それは、二人とも天国に行っていると感じていたからだと思うのです。 きょうのみことばは、イエス様が病気で亡くなったラザロを生き返らせる場面です。ルカ福音書にもマルタとマリアの話が出てきているように(ルカ10・38〜42参照)、イエス様とこのベタニア...