復活の主日(ヨハネ20・1〜9)
- 2022/04/15
- 08:33
「見て、信じる」という種 以前、ある人から「ブラザーはイエス様の声を聞いたことがありますか。」と質問されたことがありあます。私は、「ありますが、それは私たちが耳で聞くような声ではなくどちらかというと感じると言った方がいいかもしれません」と答えました。イエス様の声は、「良心の声」に近いような気がして、その【声】を心の中で識別しながら聞く習慣をつけていくことがいいのかもしれません。 きょうのみことばは...
受難の主日(枝の主日)(ルカ23・1〜49)
- 2022/04/08
- 08:42
「最期まで癒される」という種 きょうの典礼は、枝の主日から始まりイエス様の受難へと向かいます。このことを思う時、人の心の変わりやすさ、残酷さが伺えます。人々は、エルサレムに入城するイエス様を「主の名によって来られた方、王に祝福があるように。天に平和、いと高き所に栄光」と言って迎えた数日後には、「その男を殺せ。」と平気でいうのです。イエス様は、そのような人々に対しても「アガペの愛」で赦してくださるお...
四旬節第5主日(ヨハネ8・1〜11)
- 2022/04/01
- 08:17
「身をかがめて」という種 私たちは、それぞれ大なり小なり自分の弱さからくる罪を犯しています。以前私は大きくて苦しい罪を犯したことがあったのですが、そのことで「ゆるしの秘跡」を頂いた時、その罪を犯すことから守られた、という大きなお恵みをいただきました。「ゆるしの秘跡」は、罪を赦されるだけではなく、【罪】から守ってくださるお恵みもいただけるのだと、その時感じたのです。 きょうのみことばは、姦通の罪を犯...
四旬節第4主日
- 2022/03/25
- 08:33
「おん父のもとに立ち返る」という種 きょうのミサの『集会祈願』には、「……ご自分に立ち帰るすべての者を迎え入れてくださいます。回心の道を歩むわたしたちに、神の子供としての新たないのちを与えてください」とあります。私たちは、たとえ肉体的に生きていたとしても罪を犯した状態ですと、死んでいることと同じなのではないでしょうか。改めて今の心の状態を見つめ直すことができたらいいですね。 きょうのみことばは、『放...
四旬節第3主日(ルカ13・1〜9)
- 2022/03/18
- 11:47
「悔い改める」という種 きょうの典礼のテーマは、【悔い改める】ということではないでしょうか。ミサの集会祈願に「わたしたちの心があなたから離れてしまうとき、ひとり子イエスをとおしてわたしたちを呼び戻してくださいます」とあります。悲しことに私たちは、おん父へ向かうより、もっと楽しい方へ傾いてしまう弱さを持っています。時としてそのことが習慣化したり、麻痺したりと当たり前のように生活してしまう危険性もあり...