四旬節第3主日(ヨハネ4・5〜42)
- 2020/03/13
- 09:53
「永遠の命に至る水」という種
私たちは、人に相談することによって迷っていたり、悩んでいたりしたことが整理されることがあります。またそのような時、私たちは相手がただ聴いてくれるだけで安心するものです。
きょうのみことばは、イエス様と井戸に水を汲みに来たサマリアの女性との会話です。イエス様は弟子たちがユダヤで洗礼を授けたことが問題になり、ユダヤからガリラヤへ帰るところでした。ユダヤからガリラヤへ向かう道は、3通りあり、地中海沿いに行く道、いったんエリコまだ下りてヨルダン川に沿った道、そして、イエス様と弟子たちが通ったサマリアを通る道です。きょうのみことばに入る1節前には、「サマリアをお通りにならなければならなかった」(ヨハネ4・4)とあります。イエス様は、交際をしていなかったサマリアを通る道をあえて選ばれたのでした。イエス様と弟子たちは、旅に疲れて井戸の傍に腰をおろして休みます。時は、12時で太陽も真上にあり暑い時間帯でした。ちょうどその時に1人のサマリアの女性が井戸に水を汲みに来ました。普通ですと暑い時間帯を避け朝の涼しい時に水を汲みに来るのですが、彼女がこの時間に来たのには、他の女性たちと顔を合わせたくない理由があったからでした。
イエス様は、彼女が何か悩みを抱えていることに気がつかれたのでしょう。それで、旅で疲れていたのにもかかわらず、彼女に「水を飲ませてください」と話しかけられます。ユダヤ人はサマリア人が使っている同じ器から食物や水を口にしませんでした。彼女は、ユダヤ人の青年に「水を飲ませてください」と声をかけられてどのように思ったでしょうか。きっとこの人は、何か目的があるのではないか、と不審に思い「ユダヤ人のあなたが、サマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてくれとおっしゃるのですか」と答えます。イエス様は、「……、また、『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるかを知っていたなら、……その人はあなたに生ける水を与えたことであろう」と答えられます。イエス様が言われる【水】は、私たちが普通に飲む水ではなく「永遠の命に至る水」である【みことば】を意味しているのではないでしょうか。今の彼女にとって、この救いの水が必要だったのです。
イエス様は、彼女に「あなたの夫をここに呼んできなさい」と言われます。彼女は、「わたしには夫はいません」と答えます。イエス様は、彼女の答えを受けて「あなたには5人の夫があったが、今のは夫ではない。あなたは本当のことを言ったわけだ」(4・16〜17「聖書と典礼で省かれたている箇所」)と言われます。イエス様は、彼女が正式な結婚をしていない男性と暮らしていることも、彼女が暑い思いをしてでも人目を避けて12時ごろに水を汲みに来なければならないほど問題を抱えていることをご存知だったのでしょう。
イエス様は、「婦人よ、信じなさい。……霊と真理において、御父を礼拝する時が来る。今がその時である。御父は、このように礼拝する者たちを求めておられるからである。神は、霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理において礼拝しなければならない」と言われます。イエス様は、「水を飲ませてください」という一言をきっかけにして徐々に今、彼女に必要なおん父への礼拝すること、それも【霊と真理】を持って祈れば、どのような場所であっても祈ることができる、ということを教えられます。彼女は、イエス様に対して第一印象と違う何かを感じたのでしょう。「わたしは、メシア、『油注がれた者』と呼ばれる方がおいでになることを知っています。……」と答えます。イエス様は、「あなたと話しているこのわたしがそれである」と答えられます。ちなみに、このイエス様の言葉は直訳されると「わたしはある」(出エジプト3・14)いうおん父がモーセに言われた同じ言葉で、イエス様の神性を表しているようです。
彼女は、イエス様の言葉を聴き自分の大切な水瓶をそこに置いたまま町に行き、人々に「さあ、来て、見てご覧なさい。わたしのことを何もかも言いあてた人がいます。もしかしたら、この人がメシアではないでしょうか」(4・28〜29)と言います。彼女の中には、もう【永遠の命に至る水】が湧き出て、イエス様によって変えられ人目を気にすることなく、町の人々の所にいくことができるようになったのです。彼女は、イエス様の話を自分だけに留めておくのではなく、もっと周りの人に知って欲しいと思うようになりました。彼女は、弱い女性でなく一人の福音宣教者となったのです。町の人は出てきてイエス様の言葉を信じます。さらに、彼らは、イエス様に滞在して欲しいと願い、「わたしたちは、……この方こそまことに世の救い主であるとわかったからだ」と彼女に答えます。
イエス様は、「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方のみ旨を果たし、その業を成し遂げることである」(4・34)と言われます。私たちは、洗礼によって、【永遠の命に至る水】を頂き、イエス様と共におん父のみ旨を果たすことによって満たされ歩み続ける、という使命を頂いています。私たちは、このサマリアの女性と同じように、イエス様のみことばによって変えられ、力を頂き、周りの人にイエス様のことを伝えることができたらいいですね。
私たちは、人に相談することによって迷っていたり、悩んでいたりしたことが整理されることがあります。またそのような時、私たちは相手がただ聴いてくれるだけで安心するものです。
きょうのみことばは、イエス様と井戸に水を汲みに来たサマリアの女性との会話です。イエス様は弟子たちがユダヤで洗礼を授けたことが問題になり、ユダヤからガリラヤへ帰るところでした。ユダヤからガリラヤへ向かう道は、3通りあり、地中海沿いに行く道、いったんエリコまだ下りてヨルダン川に沿った道、そして、イエス様と弟子たちが通ったサマリアを通る道です。きょうのみことばに入る1節前には、「サマリアをお通りにならなければならなかった」(ヨハネ4・4)とあります。イエス様は、交際をしていなかったサマリアを通る道をあえて選ばれたのでした。イエス様と弟子たちは、旅に疲れて井戸の傍に腰をおろして休みます。時は、12時で太陽も真上にあり暑い時間帯でした。ちょうどその時に1人のサマリアの女性が井戸に水を汲みに来ました。普通ですと暑い時間帯を避け朝の涼しい時に水を汲みに来るのですが、彼女がこの時間に来たのには、他の女性たちと顔を合わせたくない理由があったからでした。
イエス様は、彼女が何か悩みを抱えていることに気がつかれたのでしょう。それで、旅で疲れていたのにもかかわらず、彼女に「水を飲ませてください」と話しかけられます。ユダヤ人はサマリア人が使っている同じ器から食物や水を口にしませんでした。彼女は、ユダヤ人の青年に「水を飲ませてください」と声をかけられてどのように思ったでしょうか。きっとこの人は、何か目的があるのではないか、と不審に思い「ユダヤ人のあなたが、サマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてくれとおっしゃるのですか」と答えます。イエス様は、「……、また、『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるかを知っていたなら、……その人はあなたに生ける水を与えたことであろう」と答えられます。イエス様が言われる【水】は、私たちが普通に飲む水ではなく「永遠の命に至る水」である【みことば】を意味しているのではないでしょうか。今の彼女にとって、この救いの水が必要だったのです。
イエス様は、彼女に「あなたの夫をここに呼んできなさい」と言われます。彼女は、「わたしには夫はいません」と答えます。イエス様は、彼女の答えを受けて「あなたには5人の夫があったが、今のは夫ではない。あなたは本当のことを言ったわけだ」(4・16〜17「聖書と典礼で省かれたている箇所」)と言われます。イエス様は、彼女が正式な結婚をしていない男性と暮らしていることも、彼女が暑い思いをしてでも人目を避けて12時ごろに水を汲みに来なければならないほど問題を抱えていることをご存知だったのでしょう。
イエス様は、「婦人よ、信じなさい。……霊と真理において、御父を礼拝する時が来る。今がその時である。御父は、このように礼拝する者たちを求めておられるからである。神は、霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理において礼拝しなければならない」と言われます。イエス様は、「水を飲ませてください」という一言をきっかけにして徐々に今、彼女に必要なおん父への礼拝すること、それも【霊と真理】を持って祈れば、どのような場所であっても祈ることができる、ということを教えられます。彼女は、イエス様に対して第一印象と違う何かを感じたのでしょう。「わたしは、メシア、『油注がれた者』と呼ばれる方がおいでになることを知っています。……」と答えます。イエス様は、「あなたと話しているこのわたしがそれである」と答えられます。ちなみに、このイエス様の言葉は直訳されると「わたしはある」(出エジプト3・14)いうおん父がモーセに言われた同じ言葉で、イエス様の神性を表しているようです。
彼女は、イエス様の言葉を聴き自分の大切な水瓶をそこに置いたまま町に行き、人々に「さあ、来て、見てご覧なさい。わたしのことを何もかも言いあてた人がいます。もしかしたら、この人がメシアではないでしょうか」(4・28〜29)と言います。彼女の中には、もう【永遠の命に至る水】が湧き出て、イエス様によって変えられ人目を気にすることなく、町の人々の所にいくことができるようになったのです。彼女は、イエス様の話を自分だけに留めておくのではなく、もっと周りの人に知って欲しいと思うようになりました。彼女は、弱い女性でなく一人の福音宣教者となったのです。町の人は出てきてイエス様の言葉を信じます。さらに、彼らは、イエス様に滞在して欲しいと願い、「わたしたちは、……この方こそまことに世の救い主であるとわかったからだ」と彼女に答えます。
イエス様は、「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方のみ旨を果たし、その業を成し遂げることである」(4・34)と言われます。私たちは、洗礼によって、【永遠の命に至る水】を頂き、イエス様と共におん父のみ旨を果たすことによって満たされ歩み続ける、という使命を頂いています。私たちは、このサマリアの女性と同じように、イエス様のみことばによって変えられ、力を頂き、周りの人にイエス様のことを伝えることができたらいいですね。
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