神の母聖マリア(ルカ2・16〜21)
- 2022/12/29
- 13:09
「馬小屋」という種 クリスマスの馬小屋を見ると、マリア様とヨセフ様に見守られて、飼い葉桶に横たわった幼子イエス様がおられます。そして、周りには羊飼いや牛やロバ、そして3人の博士や天使がいます。これらを見るだけで、「ああ、クリスマスなんだ」と思います。修道院の玄関前の馬小屋に飾られた馬小屋は、道路を歩く人が見えるようになっているので、きっと、この馬小屋に気づいている方もいるかもしれません。 きょうの...
主の降誕(ヨハネ1・1〜18)
- 2022/12/23
- 08:12
「まことの光」という種 町には、イルミネーションが輝きクリスマスツリーが飾られ、皆んなクリスマスを待ち望んでいます。その中の何人が、イエス様の誕生日の本当の意味を知っているのでしょうか。洗礼の恵みを頂いている私たちは、まだイエス様を知らない人たちに少しでも知ってもらえるように祈ることができたらいいですね。 きょうのみことばは、ヨハネ福音書の序章の部分です。この箇所を読むとき、私が小学生の頃、母から...
待降節第4主日(マタイ1・18〜24)
- 2022/12/16
- 07:59
「正しい人」という種 私たちは、映画やテレビを観るように「こんな夢を見よう」と思って夢を選ぶことはできません。私たちが寝ている時の夢は、全くの受け身というわけです。ときどき、私たちの中にあるストレスや大きな心配となどがある場合は、それに関係することが夢として現れることがあるかも知れません。ですから、きょうのみことばにあるように、ヨセフが見た「主の使いが夢に現れて告げられる」というのも全くの受け身と...
待降節第3主日(マタイ11・2〜11)
- 2022/12/09
- 08:07
「福音の喜びを伝える」という種 ある方から、「キリスト教の方は、クリスマスって何か特別なことをされるのですか。何か特別なミサがあるのですか」と尋ねられたことがあります。この時期は、信仰を持っている人よりも、そうでない人の方がクリスマスを待ち望んでいるようで、イルミネーションやクリスマスソングが流れ、町中がクリスマス一色で賑わっている感じを受けます。では、私たちは、どのような気持ちでイエス様のご誕生...
待降節第2主日(マタイ3・1~12)
- 2022/12/02
- 08:08
「切符を渡す」という種 私たちにとって【洗礼】とはどのようなものなのでしょうか。私は幼児洗礼で、子どもの頃から当たり前のように教会に行っていまし、改めて自分にとって【洗礼】とは何だろう」と思う機会がありませんでした。ただ、【洗礼】によって、多くの恵みをいただき、今の【私】がいるということは強く感じます。 きょうのみことばは、洗礼者ヨハネが荒れ野で人々に洗礼を授ける場面です。イスラエルの人々は、長い...