待降節第1主日(マタイ24・37〜44)
- 2022/11/25
- 08:23
「イエスをまとう」という種 きょうの集会祈願の中に「わたしたちがキリストを日々の生活のうちに迎え、キリストと結ばれて、永遠の国を受け継ぐことができますように」とあります。私たちは、特別な日ではなく、日々の生活の中でイエス様の働きを感じ気づいていくことができたらいいですね。 典礼では、待降節に入りこれからイエス様のご誕生を準備する期間に入ります。町の中では、イルミネーションやクリスマスツリーが飾られ...
王であるキリスト(ルカ23・35〜43)
- 2022/11/18
- 20:48
「わたしを思い出してください」という種 日本には「王」がない国ですので、「王」という感覚がわかりません。私たちはあくまでも「王」をテレビや映画、あるいは書籍を通して理解するしかありません。たとえば、立派な御殿に住んでたくさんの家来などがいて立派な服装をしてなど、想像できるのではないでしょうか。しかし、イエス様は、そのような【王】ではないようです。改めて私たちが描く【王であるキリスト】像を黙想しても...
年間第33主日(ルカ21・5〜19)
- 2022/11/11
- 08:48
「今を大切にする」という種 毎朝、髪を解かすときに櫛やブラシに髪の毛が残ったり、洗面台に抜け毛があったりすることがあります。私の場合最近は特に気になり始めました。それを見た時、「あなた方の髪の毛一本も失われることはない」という言葉が頭に浮かんできます。イエス様は、この一本の髪の毛まで気に留め私たちを愛してくださっているのだなぁ、と感じること今日この頃です。小さなことでも日々、イエス様の愛を感じるこ...
年間第32主日(ルカ20・27〜38)
- 2022/11/04
- 08:07
「ふさわしく生きる」という種 私たちは、「死んだらどうなるのだろう」と時々考えることがあるのではないでしょうか。信仰を持っている私たちは、復活すると信じていますし、天の国でおん父と一緒に天の食卓に着くと信じています。しかし、具体的にどのようになるのかは、誰も知りません。11月は、「死者の月」ですが、今一度亡くなられた方のことを思い起こすこともいいのかもしれません。 きょうのみことばは、復活がないと主...