年間第27主日(ルカ17・5〜10)
- 2022/09/30
- 08:04
「なすべきことを果たしたにすぎません」という種 私たちは人が祈る姿や、ちょっとした仕草から「あの人は、信仰が深い方ですね」と言うことがあるのではないでしょうか。しかし、「私自身の中にどのくらい信仰があるのだろうか」というのはわからないものです。もし、「私にはこれだけの信仰があります」という人があるとしたら、それは【信仰】ではなくもうすでに【傲慢】になってしまっています。信仰は、主からの恵みですし、...
年間第26主日(ルカ16・19〜31)
- 2022/09/23
- 08:56
「愛の心を持つ」という種 マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と伝えています。この言葉は、ついつい私たちが【愛】と【憎しみ】の二つを比べてしまいがちですが、本当は【無関心】ほど、愛が欠けたものはないことを伝えているようです。 きょうのみことばは、金持ちとラザロの二人の譬え話です。きょうのみことばの少し前でイエス様は、「あなた方は神と富に兼ね仕えることはできない」と言われています...
年間第25主日(ルカ16・1〜13)
- 2022/09/16
- 07:26
「富を忠実に生かす」という種 ミサの『集会祈願』の中に「キリストに従うわたしたちが、まことの豊かさを知ることができますように」という祈りがあります。イエス様も弟子たちも、決して金銭的に裕福ではありませんでした。しかし、物質的な貧しさに優った豊かさを持っていました。私たちは、今の世にあって本当の【豊かさ】とは何かを見出せることができたらいいですね。 きょうのみことばは「不正な管理人」と「忠実であるこ...
年間第24主日(ルカ15・1〜10、〔32〕)
- 2022/09/09
- 08:01
「主の憐れみ」という種 私たちは、「主よ、あわれみたまえ。キリスト、あわれみたまえ」とミサの中で唱えます。私たちは、回心の祈りの中で自分たちの罪深さを認め、おん父とイエス様に憐れみを願う祈りです。しかし、もう少し深く掘り下げていくと、おん父とイエス様がまず、私たちを【憐れんで下さった】ことの恵みへの感謝の祈りと取れるのではないでしょうか。私たちはおん父とイエス様からの【憐れみ】を受けたことへの感謝...
年間第23主日(ルカ14・25〜33)
- 2022/09/02
- 08:07
「まず座る」という種 以前、友人から「弁護士や医師は、勉強をして国家試験に合格すればなれるけど、司祭や修道者は、勉強や資格だけでなれるものではないですよね」と言われたことがあります。確かに、司祭、修道者になるための資格はありませんが、条件はあるかもしれません。それは、イエス様に従って行こうという気持ちと、独身であるということです。 きょうのみことばは、イエス様がご自分の後について来た大勢の群衆に【...