復活節第3主日(ヨハネ21・1〜19)
- 2022/04/29
- 08:32
「口に出して言う」という種 私たちは、考え事をしている時、頭の中で整理できない時、または、何か悩んでいる時などその思いを誰か信頼する人に打ち明けることで、解決に導かれ、新たな発見や希望を見出すことがあります。もちろん、それだけではなく信仰を持っている私たちは、主なる神に「わたしはどうしたらいいのでしょう」と心の中で、あるいは口に出して話しかけるといいかもしれません。主なる神は、きっと【いつくしみの...
復活節第2主日(ヨハネ20・19〜31)
- 2022/04/22
- 08:28
「見ないで信じる者」という種 きょうの典礼は、「神のいつくしみの主日」と言われています。それは、受難を前に弟子たちがイエス様から逃げて行ったにも関わらず、復活されたイエス様が弟子たちに現れ「あなた方に平和があるように」と言われて、彼らを赦されたことから、イエス様の【いつくしみの愛】に感謝することのようです。改めて、私たちは頂いた洗礼の恵みを感謝することができたらいいですね。 きょうのみことばは、復...
復活の主日(ヨハネ20・1〜9)
- 2022/04/15
- 08:33
「見て、信じる」という種 以前、ある人から「ブラザーはイエス様の声を聞いたことがありますか。」と質問されたことがありあます。私は、「ありますが、それは私たちが耳で聞くような声ではなくどちらかというと感じると言った方がいいかもしれません」と答えました。イエス様の声は、「良心の声」に近いような気がして、その【声】を心の中で識別しながら聞く習慣をつけていくことがいいのかもしれません。 きょうのみことばは...
受難の主日(枝の主日)(ルカ23・1〜49)
- 2022/04/08
- 08:42
「最期まで癒される」という種 きょうの典礼は、枝の主日から始まりイエス様の受難へと向かいます。このことを思う時、人の心の変わりやすさ、残酷さが伺えます。人々は、エルサレムに入城するイエス様を「主の名によって来られた方、王に祝福があるように。天に平和、いと高き所に栄光」と言って迎えた数日後には、「その男を殺せ。」と平気でいうのです。イエス様は、そのような人々に対しても「アガペの愛」で赦してくださるお...
四旬節第5主日(ヨハネ8・1〜11)
- 2022/04/01
- 08:17
「身をかがめて」という種 私たちは、それぞれ大なり小なり自分の弱さからくる罪を犯しています。以前私は大きくて苦しい罪を犯したことがあったのですが、そのことで「ゆるしの秘跡」を頂いた時、その罪を犯すことから守られた、という大きなお恵みをいただきました。「ゆるしの秘跡」は、罪を赦されるだけではなく、【罪】から守ってくださるお恵みもいただけるのだと、その時感じたのです。 きょうのみことばは、姦通の罪を犯...