年間第8主日(ルカ6・39〜45)
- 2022/02/25
- 08:05
「おん父へ向かう【修行】」という種 私たちは、それぞれ良いところと、そうでないとことを持っています。元気な時、疲れている時、落ち着いている時、ざわついている時など感情もいろいろと変化していきます。でも、もっと深い心の状態はどのようなになっているのでしょう。静かに振り返ってみるのもいいかもしれません。 きょうのみことばは、自分にも欠点があるのに人の欠点を注意する弱い私たちをイエス様が指摘している場面...
年間第7主日(ルカ6・27〜38)
- 2022/02/18
- 08:17
「愛の掟」という種 私たちは、自分と敵対する人を愛したり自分のものを人から奪われそうになるとそれを守ろうとしたりします。一般の社会の流れは、自分と敵対している人には、とことん追い詰め、無視しまし、奪われたら奪い返というのが普通の考えです。 きょうのミサの『集会祈願』の中に「主イエスは敵対する人、自分を裏切る人をも愛し、まことの愛に生きる者の姿を示してくださいました。ここに集うわたしたちが、キリスト...
年間第6主日(ルカ6・17、20〜26)
- 2022/02/11
- 09:45
「今の幸い」という種 私たちは、人それぞれ【幸せ】の基準は違うことでしょうが、「不幸になるよりは幸せになりたい」と望んでいます。きょうのミサの『集会祈願』で司祭は「救いを求めて集まるわたしたちを顧み、まことの幸せを教えてください」と唱えます。改めて「私(たち)の幸せって何なのか」と言うことを振り返ってみるのもいいのかもしれません。 きょうのみことばは、イエス様が「3つの幸せ」と「3つの不幸」を人々に...
年間第5主日(ルカ5・1〜11)
- 2022/02/04
- 08:56
「出会い」という種 私たちは、生きている中でたくさんの人と出会います。その出会いは、人によって一生を左右することもあるのではないでしょうか。私が修道者の道を選んだのは、私が小学4年生のころある神父様との出会いでした。さらに、この道を歩み続ける中でもいくつかの出会いによって助けられました。おん父のご計画は、この一つひとつの出会いの中にも働かれているのではないでしょうか。 きょうのみことばは、最初の弟...