主の公現(マタイ2・1〜12)
- 2021/12/31
- 08:02
「星の導き」という種 都会で夜空を見上げる時、「星」の輝きよりも、大きて明るい「月」が先に目に飛び込むのではないでしょうか。私が20代の頃フィリピンに2週間ほど滞在した時に、ホームステー先で見た星は、今にも降ってくるようで、「星ってこんなに輝いているのだ」と感じたことがありました。私たちにとって星の輝きを感じる時は、大切な時間なのかもしれませんね。 きょうのみことばは、東方の博士たちがお生まれになら...
聖家族(ルカ・41〜52)
- 2021/12/24
- 09:10
「家族」という種 私たちは、成人式を境に大人として扱われ、自立への一歩を踏み出すと言ってもいいでしょう。それと同時に親が子どもを「大人」として社会に送り出すという意味もあるのかもしれません。私たちは、成人した人たちを祝うとともに彼らを家族として受け入れることができたらいいですね。 きょうのみことばは、イエス様が成人として初めて過越の祭りでエルサレムの神殿に行く場面です。ユダヤ教の律法では男子は12歳...
待降節第4主日(ルカ1・39〜45)
- 2021/12/17
- 08:08
「挨拶」という種 「苦しみ」は一人で抱え込むと苦しいままですが、それを人と分かち合うことで、小さくなります。逆に「喜び」は人と分かち合うことでもっと大きくなるのではないでしょうか。ある方が、私に「今日、孫が生まれたのです」と嬉しそうに話してくださいました。その話を聞きながら、いろいろな話題へと繋がってお互いの分かち合いが進んでいきました。 きょうのみことばは、マリア様がエリサベトを訪問する場面です...
待降節第3主日(ルカ3・10〜18)
- 2021/12/10
- 07:21
「ほんの小さな回心」という種 私たちは「かいしん」と聞くとき、「改心」「回心」という漢字が頭に浮かぶのではないでしょうか。「改心」は、なんだか自分の力で「心を改める」という感じがして「よし、何とか頑張るぞ!」と気合を込めて改心するというイメージを受けます。一方「回心」は、文字通り「心を回す」のですから、「ほんの少しだけ心を回してみる」という緩やかなイメージを持つのではないでしょうか。そして、【ほん...
待降節第2主日(ルカ3・1〜 6)
- 2021/12/03
- 08:51
「この時」という種 私たちが生きている限り、私たちと【時】は、切り離すことができません。もちろん、亡くなってからも私たちは、永遠の【時】の中に入るということになります。ですから、私たちは【時】と一緒に生きているということになりますし、その一瞬、一瞬がおん父からいただいた恵みの贈り物と言ってもいいのかもしれません。 きょうのみことばは、イスラエルの年代から始まり、洗礼者ヨハネにおん父の言葉が下る場面...