年間第13主日(マタイ10・37〜42)
- 2020/06/26
- 09:37
「今を生きる」という種 私が知っているシスターの中には、シスターだけが洗礼受けている家族もあります。そのような方の中には、「洗礼までは許しても修道院に入ることは許さない」と親から言われた方もいます。彼女達の何人かは、父親には勘当すると言われ、母親には泣かれながらもそれでも親を説得して、修道会に入会してきた方もいました。きょうのみことばを味わう時、シスター方の話を思い出します。 きょうのみことばは、...
年間第12主日(マタイ10・26〜33)
- 2020/06/19
- 09:51
「恐れることはない」という種 初めて何かをしたり、人がしないような変わったことをしたりする人は、周りから反対や攻撃そして変人扱いをされることがあります。もしかしたら、初代教会の人たちも同じような目で見られたのかも知れません。 きょうのみことばは、イエス様が12人の弟子たちを宣教に派遣するにあたっての心得えを伝えている場面です。イエス様は、みことばの中で度々【恐れ】という言葉を使われます。きょうのみこ...
キリストの聖体(ヨハネ16・51〜58)
- 2020/06/12
- 09:22
「聖体の恵み」という種 私の「初聖体」は、2回ありました!? 私は小学3年生で「初聖体」の恵みをいただきました。もう一つは、まだ、私が3歳の頃でしょうか、ミサの聖体拝領の時に両親と一緒に列に並び神父様の前まで行った時に、神父様が私の口の中に聖体を入れてくださったのです。今思いますと、聖体が私の中に「飛び込んで来た」という感じがしています。これが私の「2つの初聖体」です。 きょうの典礼は、【キリストの聖体...
三位一体の主日(ヨハネ3・16〜18)
- 2020/06/05
- 09:15
「主を信じ抜く」という種 私たちは、好きな人を愛するというのは、比較的容易(たやす)いし、「好き」から「愛」に変わって行くと言っても過言ではありません。しかし、嫌いな人、肌が合わない人を「愛する」というのは、大変困難ことですし、エネルギーがいることです。時には、「この人を愛するなんて無理」と言って諦めてしまうこともあるかもしれません。 きょうのみことばは、ファリサイ派の議員でニコデという人がイエス...