待降節第1主日 (マタイ24・37〜44)
- 2019/11/29
- 20:09
「目を覚ます」という種 教皇フランシスコが来日されました。日本の教会はもちろん社会の中にもたくさんの影響を残されたことと思います。今回の来日に先立って、カトリック中央協議会をはじめ伝通やボランティアや祈り奉仕があって無事に一連の流れが終わったのではないでしょうか。このように教皇様の来日が決まり、それに向けて準備をすることで教会全体が一つになったような気がいたします。 きょうのみことばは、「主の来臨...
王であるキリスト(ルカ23・35〜43)
- 2019/11/22
- 09:30
「私(たち)の王」という種 私たちは「王」と聞くと、どのようなイメージを持つでしょう。その国で一番偉く、民を導き、宮殿に住んでいて、華やかで、お付きの人がいて、贅沢な暮らしをしているなど映画やドラマなどで見るような印象があることでしょう。 きょうの典礼は、「王であるキリスト」です。ミサの中で司祭が唱える「集会祈願」には「あなたは十字架につけられたひとり子イエスを、すべての人の救い主として示してくだ...
年間第33主日 (ルカ21・5〜19 )
- 2019/11/15
- 08:33
「振り返りの週」という種 典礼は、年間の最後に近づき来週は、「王であるキリストの祭日」を迎えます。私たちの生活では、年末になり「大晦日」を迎えるようなものでしょうか。年末の大掃除をするように、この1週間は、自分の信仰の一年間を振り返る週となればいいですね。 きょうのみことばは、『エルサレムの神殿の崩壊の予告』そして『迫害の予告』という何やら恐ろしい場面となっています。イエス様は、エルサレムの神殿に...
年間第32主日 (ルカ20・27〜38)
- 2019/11/08
- 08:26
「いまを生きる」という種 私たちは、身近な人の命日を迎える時、その方のことを思い出すのではないでしょうか。私たちは、信仰の恵みを頂いていますから、天の国、復活を信じています。さらに、私たちは、亡くなった方のことを思い、いつも自分と一緒にいる、私たちを見守ってくださっている、と思うことでしょう。 きょうのみことばは、サドカイ派の人たちが「死者の復活」についてイエス様に質問する場面です。イエス様はガリ...
年間第31主日 (ルカ19・1〜10)
- 2019/11/01
- 09:39
「見たい」という種 教皇フランシスコの訪日が11月23日に決まり、私たちは祈りと様々な企画などで迎える準備をしていることでしょう。38年前の教皇ヨハネ・パウロ2世の訪日の時の私は、高校1年生でした。後楽園球場の教皇ミサ、東京カテドラルでの聖職者の集いに行ったことを覚えています。皆んな教皇様を見ようとし、また、触れようとして、少しでも近く行っていたのを覚えています。きょうのみことばのザアカイと同じような感じ...