年間第30主日 (ルカ18・9〜14)
- 2019/10/25
- 09:18
「謙遜な祈り」という種 司祭はミサの入祭の挨拶の後に信者に向かって「皆さん、わたしたちの罪を思い、感謝の祭儀を祝う前に、心を改めましょう。」と回心への招きの祈りを唱えます。その後、少しの沈黙の後に信者は、司祭の「全能の神と」と祈られた後に「兄弟の皆さんに告白します。……罪深いわたしのために神に祈ってください」と答えます。司祭はこの祈りを受けた後に「全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のい...
年間第29主日 (ルカ18・1〜8)
- 2019/10/18
- 09:27
「倦まず弛まず祈る」という種 私たちは、普段何をどのように祈っているでしょうか。私たちは、「苦しい時の神頼み」という言葉をよく耳にしますし、実際に口にすることがあるかもしれません。私たちにとって【祈り】とは、一体どのようなことなのでしょうか。きょうのみことで少し私たちの祈りを振り返ってみてもいいかもしれません。 きょうのみことばは、イエス様が弟子たちに「倦(う)むことなく、絶えず祈る」ことを教える...
年間第28主日 (ルカ17・11〜17)
- 2019/10/11
- 07:27
「気づく」という種 私たちの周りには、自分の力だけではどうにもできないことが起こります。それは、人間関係であったり、病気や負の連鎖による貧困であったり、親からの暴力であったり、災害や戦争による被害であったりと「どうして私が、こんなに苦しまなければならないの」と思うことが多々あるのではないでしょうか。そういった時、私たちはどのようにすればいいのでしょう。 きょうのみことばは、重い皮膚病を患った10人の...
年間第27主日 (ルカ17・5〜 10)
- 2019/10/04
- 05:43
「『取るに足らない僕です』」という種 私が志願者の頃、「自分の信仰のレベルってどのくらいなのかな」と思ったことがありました。私たちは自分の「信仰のレベル」を可視化してみたいと言う誘惑にかられる時があるかもしれません。たとえば、「ああ、今日は10%とか、70%もある」というように体重計のようなもので自分の「信仰のレベル」が見ることができたら……。しかし、自分で分からないから良いということもあります。もし、分...