四旬節第4主日 (ルカ15・1〜3、11〜32)
- 2019/03/29
- 09:19
「おん父の愛に気づく」という種 春から、大学や就職などで親元を離れ、新生活を始める人がいるのではないでしょうか。彼らは、不安もあるでしょうが、自立への一歩という気持ちや開放感も同時にあることでしょう。もしかすると、ちょっと羽目を外す人もいるのかもしれません。 きょうのみことばは、『放蕩息子』の喩え話です。みことばは、「徴税人や罪人たちがみな話を聞こうとして、イエスのもとに近寄ってきた。」という言葉...
四旬節第3主日 (ルカ13・1〜9)
- 2019/03/22
- 09:56
「【悔い改める】」という種 新聞、テレビ、ラジオ、そしてインターネットなどで、いろいろな事件や事故や災害のニュースが報道されます。しかし、時間が経つといつの間にか忘れ、また、新しいニュースを見聞きしていきます。私たちは、自分が当事者か余程その事に関わらない限り何となく他人事のようにそのニュースが流してしまっているのではないでしょうか。 きょうのみことばは、エルサレムで起こった事件や事故を用いてイエ...
四旬節第2主日 (ルカ9・28b〜36)
- 2019/03/15
- 09:31
「同伴者イエス様に気づく」という種 私たちは、何かをするうえで目標がある時と、目標がない時とではモチベーションが違うのではないでしょうか。例えば、毎年正月に行われている駅伝ですが、選手たちは良い記録を出すため、優勝をするという目標を持って、日々の苦しい練習をおこなっています。駅伝に限らず私たちは、日常の中で小さな目標や大きな目標を定め、完成に向かって歩んでいるのではないでしょうか。 私たちの最終的...
四旬節第1主日 (ルカ4・1〜13)
- 2019/03/08
- 09:36
「神か自分か」という種 私たちは、「これは『神様からの試みかな、それとも悪魔の試みかな』」と時々迷うことがあります。この二つの【試み】の違いは、「神様に近づくものか、遠ざけるものか」ということではないでしょうか。悪魔は、私たちがおん父よりも自分を満足させる欲求を使って私たちに試みます。ここに【自我】の葛藤が起こってきます。自分の欲求を満たすという【自我】と、その弱さを受け入れておん父へ向かうという...
年間第8主日 (ルカ6・39〜45)
- 2019/03/01
- 09:59
「愛で満たす」という種 ある神父様が、「『せっかくしてあげたのに。』という言葉や思いが出る行いは、気をつけなさい。それは、傲慢な行いだから。」と教えてくださいました。時々、相手に対して良かれと思って人に言ったり、行ったりすることがあるのではないでしょうか。この神父様の言葉は、今も心の中で時々響いて私を助けてくれます。 きょうのみことばは、イエス様が弟子たちに「弟子としての在り方」を教えている場面で...