年間第7主日 (ルカ6・27〜38)
- 2019/02/22
- 09:21
「敵を愛する」という種 私たちの歩みの中で、コミュニケーションの不足や誤解から人間関係が気まずくなること、理不尽な言いがかりや仕打ちを受けたことがあるかもしれません。そのような時、私たちは、怒りや悲しみという苦しさが起こることでしょう。そして「なぜ、このようなことが起こるのか。どうしてここまで言われなければならないのか」と思うのではないでしょうか。イエス様は、私たちが経験するかもしれないその苦しみ...
年間第6主日(ルカ6・17、20〜26)
- 2019/02/15
- 09:44
「『主よ、あわれみたまえ』と言える」という種 私たちがミサの始めに「回心の祈り」を唱えた後司祭は、「全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。」と祈ります。司祭はイエス様の代理者として「回心の祈り」をした私たちに対して、「……永遠のいのちに導いてくださいますように。」と「罪のゆるし」と「天の国へと導く」祈りをしてくださいます。その後私たちは、「主よ、あわれみ...
年間第5主日 (ルカ5・1〜11)
- 2019/02/08
- 07:27
「普段の生活でイエス様を感じる」という種 私たちは、人前で自分の失敗や自分の心の中のデリケートな部分をあまり人前で話をするということはありません。よほど信頼している人の前では別ですが、それでも話の内容によっては、躊躇するものです。それは、心のどこかで「自分を守ろう、自分の負の部分を人に知られたくはない」という気持ちがあるからだと思うのです。イエス様は、そんな私たちの心にどのように語りかけてくださる...
年間第4 主日 (ルカ4・21〜30)
- 2019/02/01
- 22:52
「私にとってのイエス様は」という種 私たちは、時として周りの人に対して「偏見」を持って見てしまうことがあります。例えば、「この人はこのような性格だから、きっとこのようなことを言うのだろう」とか、「あの人には、怒りっぽいからこのような質問しないほうがいい」とか、相手に対して間違った見方をしてうまくコミュニケーションをとることができなくなってしまうこともあるでしょう。しかし、しっかり付き合ってみれば、...