年間第30主日 (マルコ10・46〜52)
- 2018/10/26
- 13:10
「見えるようにしてください」という種 ほとんど助からないような状態でも生きるすべを探し求めるというような意味で「死中に活を求める」という言葉があります。「なんとかして生きたい」というのは、私たちの本能と言っても良いでしょう。イエス様は、私たちのこのような願いを黙って放って置かれない方です。 きょうのみことばは、イエス様がエルサレムを目前にして目が見えない物乞いを癒す場面です。イエス様と弟子たちは、...
年間第29主日 (マルコ10・35〜45)
- 2018/10/19
- 09:23
「イエス様と共に歩む」という種 きょうの集会祈願で司祭は、「ひとり子イエスは、すべての人の救いのために自らのいのちをおささげになりました。わたしたちが苦しみや試練の中にあっても、主の十字架に希望を見いだすことができますように。」と唱えます。きょうのみことばは、私たちがイエス様の弟子として歩むためのヒントを伝えているのではないでしょうか。 きょうのみことばは、イエス様の弟子であるゼベダイの子ヤコブと...
年間第28主日 (マルコ10・17〜30)
- 2018/10/12
- 08:01
「一切を捨てる」という種 私たちの普段の生活は、朝起きて食事をして学校や職場に向かう人、または、送り出して家事を行う人もいるでしょう。ほとんど普段と変わらない日々を過ごす毎日だと思います。そんな中、より精神的なまたは霊的な飢えから、黙想会や巡礼に参加したり、座禅や瞑想やヨガなどを行ったりする人もいることと思います。今よりも何か違う“私”を求めようとする欲求は、人それぞれ違うかもしれませんが持っている...
年間第27主日 (マルコ10・2〜16)
- 2018/10/05
- 11:40
「誰でも幼子」という種 男性と女性の「出逢い」には理屈がないと言ってもいいでしょう。「どうして結婚したの」と聞いても十人十色でそれぞれの答えが返ってくることでしょう。そのくらい、結婚というのは人の力では分からないもの、神秘的なものなのではないでしょうか。 きょうのみことばは、「離縁の問題」と「イエス様と幼子たち」という場面です。イエス様が旅をしていたところに群衆が集まって来ました。このことを知った...