年間第17主日 (ヨハネ6・1〜15)
- 2018/07/27
- 09:33
「僅かな捧げ物」という種 きょうの「年間第17主日」のミサの「集会祈願」で司祭は、「飢え渇くすべての人に、あなたはいつくしみの目を注いでくださいます。」と唱えます。私たちは、【飢え渇くすべての人】の一人としておん父からのいつくしみの目を注いてくださっていることに気づき、感謝することができたらいいですね。 きょうのみことばは、イエス様が「5つのパンと2匹の魚」で大勢の群衆を満腹させる奇跡を行った場面です...
年間第16主日 (マルコ6・30〜34)
- 2018/07/20
- 10:06
「祈りと働き」という種 私たちは、時々自分たちが体験したことを「分かち合う」ことがあります。そのような時、喜びはさらに大きくなり、悲しみは小さくなります。また、相手の分かち合いを通して共有し心が豊かになり、同じような体験をする時に物事や考え方の層が幅広くなることもあります。 きょうのみことばは、二人一組で福音宣教に派遣された弟子たちが自分たちの行ったことを報告するところから始まっています。彼らは、...
年間第15主日 (マルコ6・7〜13)
- 2018/07/13
- 10:12
「宣教と信仰」という種 私の実家は、福岡県の篠栗という所です。ここは、町全体に「四国八十八箇所」の札所があり巡礼地となっていて、白衣と金剛杖(こんごうじょう)そして菅笠(すげかさ)を身につけた「お遍路さん(巡礼者)」をよく見かけます。彼らが被る笠には、「同業二人(どうぎょうににん)」と書かれてあります。これは、巡礼者は、一人ひとりが巡礼の中でいつも弘法大師と一緒に巡礼をしているという意味です。そし...
年間第14主日 (マルコ6・1〜6)
- 2018/07/06
- 09:18
「イエス様の思いに敏感になる」という種 以前、青年たちの集まりである神父様から、「あなたにとってイエス様はどのようなお方ですか」と質問されたことがあります。それぞれ「優しい方」「兄のような方」「厳しい方」「一緒にいてくださる方」「祈りを聞いてくださる方」などと思いおもいに自分が感じるイエス様を分かち合いました。ふと、私は人によって「イエス様像」というのは違いがあるのだなと思いました。 きょうのみこ...