四旬節第5主日(ヨハネ11・1〜45)
- 2017/03/31
- 18:34
「出て来なさい」という種 私は以前ERに、お世話になった時に、看護師さんから、「大丈夫ですか、ここが分かりますか」という「声かけ」をされたことがあります。この「声かけ」は、「いまの自分を意識させる」言葉のようでもあり、「もう大丈夫ですよ」という安心感を頂ける言葉でもあるように感じたのです。 きょうのみことばは、イエス様がラザロを生き返らせる場面です。福音書には、たびたびイエス様が亡くなった人を生き返...
四旬節第4主日(ヨハネ9・1、6〜9、13〜17、34〜38)
- 2017/03/24
- 09:39
「大切なことに目を向ける」という種 私たちの中には、善を行おうとする心と、悪を行おうとする心の2つの心があるのではないでしょうか。どちらかというと、善を行おうという心は、多少困難さが生じますが、悪を行おうとする心は、簡単に行うことができるような気がいたします。ただ、残念ながら一度悪の心を行い罪の状態に陥ってしまうとなかなか自分の力だけでは、もとに戻るのが難しい場合もあります。 パウロは、「わたしは...
四旬節第3主日(ヨハネ4・5〜15、19b〜26、40〜42)
- 2017/03/17
- 16:54
「水を飲ませてください」という種 九州のある村に、宣教師が来ました。その村の長老と言われる人は彼に「私とあなたと問答をして、私があなたを信じたなら、洗礼を受けましょう」と言ったそうです。長老は、宣教師の話した言葉に感銘を受け洗礼を受けました。さらに、彼が洗礼を受けたことでその村全体の人が洗礼を受けたそうです。 きょうのみことばは、イエス様と弟子たちがユダヤからガリラヤへ行く途中に寄ったサマリアでの...
四旬節第2主日(マタイ17・1〜9)
- 2017/03/11
- 10:58
「恐れることはない」という種 私たちは、これまでの歩みを振り返る時、自分にいろいろな意味で影響を与えた【恩師】がいるのではないでしょうか。その人は、教師であったり、親戚の誰かであったり、または、司祭やシスターであったりすることでしょう。そして、その恩師の一言や姿は、自分を支え、導いてくれる大切な宝となって、私たちを育ててくれていることでしょう。 きょうのみことばは、イエス様の変容の場面です。みこと...
四旬節第1主日 (マタイ4・1〜11)
- 2017/03/03
- 09:34
「みことばに信頼する」という種 私がいる修道院の近くに、幼稚園があります。朝、子どもたちは、お母さんやお父さんに連れられて幼稚園に行っています。子どもたちは、夕方になるとまたお母さんやお父さんが迎えに来てくれることを知っていますので安心して、幼稚園に行くことができます。ここには、親と子という信頼関係があるからではないでしょうか。 きょうのみことばは、イエス様が悪魔から誘惑にあう場面です。みことばは...