年間第4主日(マタイ5・1〜12a)
- 2017/01/27
- 16:39
「天の国」を頂くという種 マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の『沈黙』を映画にしようと28年間温めて来た作品『沈黙 ―サイレンス―』を観ました。棄教したイエズス会宣教師フェレイラを救うために、若い宣教師ロドリゴとガルペが日本に派遣されます。彼らは、日本で迫害から隠れて信仰を守っているキリシタンに会います。しかし、二人はそこで、熱心なキリシタンが棄教を拒み捕らえられ、十字架につけられて殉教する姿を目に...
年間第3主日 (マタイ4・12〜22)
- 2017/01/20
- 07:26
「宣教開始」という種 「一年の計は元旦にあり」ということわざがあります。これは、物事を始めるにあたっては、最初にしっかりと計画を立てなければならない、という意味のようです。たとえば、私たちが何か大きな企画を任された場合、それを実現するために、目標を設定しそれに見合うような予算や立案を定めたり、人員を確保したりして行きます。この計画と目標をしっかり持っていないと、せっかく良い企画でもうまくいくことは...
年間第2主日 (ヨハネ1・29〜34)
- 2017/01/13
- 07:58
「使命を果たす」という種 私たちは、朝、目覚めた時に、洗顔やシャワーをして「今日も一日頑張ろう」という気持になるのではないでしょうか。イエス様の洗礼を「洗顔」や「シャワー」と一緒にするのは失礼なことですが、イエス様が宣教活動の前にヨハネから洗礼を授けられた時にも「さあ、これから宣教をするぞ」と思われたのかもしれません。 きょうのみことばは、洗礼者ヨハネがイエス様に洗礼を授ける場面です。典礼は、「主...
主の公現 (マタイ2・1〜12)
- 2017/01/06
- 07:54
星に導かれるという種 都会の中で夜の星を見るときと田舎で見る星とは、輝き方が違うという経験をされた方も多いかと思います。それは、町の明るさのために星の光が目立たないということではないでしょうか。星は、昼間でも私たちの上で輝いているのでしょうが、私たちは、普段はそれに気がつくことはありません。 きょうの典礼は、「主の公現」で、みことばは、東方の博士たちがイエス様の誕生を知り、拝みに来るという場面です...