待降節第1主日 (マタイ24・37〜44)
- 2016/11/25
- 07:56
「目を覚ます」という種 「暗い、暗い、と言うよりも、すすんで明かりをつけましょう」という標語を聞いたことがあります。これは、ただ自分が今の辛い状態を嘆くのではなく、自発的に良い方向に変えて行こう、というような意味ではなかったかと思います。この「明かり」というのは、目に見える「明かり(光)」ということだけではなく、「希望の光」であったり、「愛の温もり」であったり、「真理へと向かう光」であったりするの...
王であるキリスト (ルカ23・35〜43)
- 2016/11/18
- 07:13
「思い出さしてください」という種 私たちは、聖堂や私たちの部屋や身近なところにある十字架のキリストを見て、この方が王とは感じないのではないでしょうか。私たちが思い浮かべる【王】は、立派な宮殿に住んでいて、威厳に満ち、きらびやかな衣装を身にまとった方を想像することしょう。しかし、十字架にかけられたイエス様のお姿は、まるで、私たちが思い描くような【王】の姿ではありません。ただ、そのお姿を見る時、何か私...
年間第33主日(ルカ21・5〜19)
- 2016/11/11
- 10:04
「身を委ねる」という種 私たちは、国内外の歴史を振り返る時、いくつもの自然災害や疫病、戦争や経済的な変動が起こったことを知っています。日本の中を見ても、大きな地震や津波、火山の噴火や土砂災害などなど私たちを襲っています。ニュースでは、目を覆うような事件や事故が起きています。これらの、自然災害や人為的な事件や事故に対して、私たちは、無関心ではすまされない、危機感や社会のゆがみを覚えるのではないでしょ...
年間第32主日(ルカ20・27~39)
- 2016/11/03
- 09:17
「復活にあずかる」という種 この世に生まれてきた私たちにとって【死】は、早いか、遅いかという違いはありますが、避けては通ることができないものです。洗礼の恵みをいただいている私たちは、死んだ後も【復活】するということを信じています。ミサの中で私たちは、司祭の「信仰の神秘」という言葉の後に、「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と唱えています。教会の中でキリストの【復活】は、まさに【信仰...