年間第22主日 (ルカ14・1、7〜14)
- 2016/08/26
- 07:27
「頭を垂れる」という種 夏から秋の田んぼを見ると、たくさんのお米をつけた稲を目にすることができます。その実った稲を見る時、自然の豊かさ、神様からの恵みを感じ、「今年も、たくさんお米ができたね」と感謝の気持が起こって来るのではないでしょうか。ことわざに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があり、「人格者は、学問や徳が深まるほど謙虚になり、小心者は高慢になる。」という意味として用いられます。 きょ...
年間第21主日 (ルカ13・22〜30)
- 2016/08/20
- 08:12
「狭い門から入る」という種 オリンピックを目指す選手は、大会に向けて体や技、心を鍛えています。そして、その結果として自己ベストを獲得したり、メダルを手に入れたりするのです。もちろん彼らの目指すものは、金メダルでしょうが、そのためには、人の何倍、何十倍、何百倍もの努力と鍛錬が必要となって来ることと思います。スポーツ選手に限らず、一つのことを極めようとして頂点を目指す人は、人一倍の努力と鍛錬を怠ること...
年間第20主日 (ルカ12・49~53)
- 2016/08/13
- 15:33
「でも」という種 私たちは、ときどき「でも○○」という言葉を使うことはないでしょうか。例えば、「あなたが言っていることはわかります。でも、そのようなことでは、うまくいきませんよ」とか「甘いものを食べ過ぎると体に悪いことはわかっています、でも、我慢することができないのです。」とか、使ってはいないでしょうか。 このようなとき、この「でも」の後ろ側には、【自我】が見え隠れしているような気がいたします。自分...
年間第19主日 (ルカ12・32〜48)
- 2016/08/04
- 08:14
「天に宝を積む生活」という種 先日、私たちの修道会の1人の司祭が肺がんのために、都内のホスピスで62歳の生涯を遂げました。彼の仮通夜、通夜、そして葬儀には、たくさんの弔問客が訪れ故人の死を悼みました。しかし、その祭壇は、彩り豊な花で飾られ、悲しみだけではなく天の国へ送り出す「祝い」のようにも思えました。弔問に来られた人は、修道会家族会員、ご親族だけではなく、中学、高校の同級生、彼がミサに行った小教区...