復活節第6主日 (ヨハネ14・23〜29)
- 2016/04/29
- 08:07
「信頼のうちに歩む」という種 典礼は、「主の昇天」「聖霊降臨」へと近づいてきました。それに、ともないみことばは、復活されたイエス様と弟子たちとの出会いの場面ではなく、イエス様が弟子たちの前から目に見える形ではいなくなられても、弟子たちが福音宣教をすることができるような場面へと移って来ているようです。 私たちの生活の中では、たとえば、人事異動での引き継ぎをするとき、自分がいなくても仕事がスムーズに進...
復活節第5主日 (ヨハネ13・31〜35)
- 2016/04/22
- 07:57
「愛送り」という種 上方落語の中に「子褒め」という噺があります。これは、「ただの酒」を飲めると聞いて訪ねて来た人に、「ただの酒」ではなく「灘の酒」だと教えます。その中で、人を褒めて、相手から「ただの酒と肴」をご馳走になる知恵を教えてもらうのです。その方法とは、「年長者には、年齢より若く見えると褒め」「若者には、年齢よりもしっかりして見えると褒め」「赤ちゃんは、顔をよく見て人相を褒めて」、「ただの酒...
復活節第4主日 (ヨハネ10・27〜30)
- 2016/04/15
- 06:10
「声を聞き分ける」という種 「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあります。これは、人は好きな物は、勉強をしたり、工夫をしたりするので自然と上達していきます。その逆に、嫌いな物、無理に押し付けられた物事、嫌々するものは、回を重ねても一向に上手にはなりません。もう一つ「あばたもえくぼ」ということわざもあります。これは、好きになってしまえば、たとえそれが欠点であっても長所に見えて来る、という意味です...
復活節第3主日 (ヨハネ21・1〜19)
- 2016/04/08
- 07:27
「愛」をもって「養う」という種 最近、『復活』(原題:RISEN)という映画の試写会に行きました。この映画は、イエス様が十字架上で亡くなられてからの物語です。1人のローマの司令官が墓から消えたイエス様のご遺体を探す調査の命を受け、イエスの弟子たちの隠れ家に踏み込んだとき、偶然十字架上で亡くなったはずのイエス様が弟子たちと食事をともにし、ご自分の手と脇腹の傷をお見せになる場面に遭遇します。彼は、その場に...
復活第2主日 (ヨハネ20・19〜30)
- 2016/04/01
- 07:31
「見ないで信じる」という種 ことわざに「百聞は一見にしかず」という言葉があります。この言葉は、「人から何度も聞くよりも、実際に自分で1回見た方がよくわかる」という意味です。このことは、信仰生活の中にも言えることだと思うのです。聖書や要理の勉強会でいろいろな話しを聞いたとしても、私たちが生活の中で恵みの体験をし、三位一体の神様の恵みが行われたことを見たことで、信仰の恵みが豊かになったという経験をされ...