待降節第1主日 (ルカ21・25〜28、34〜6)
- 2015/11/28
- 21:34
イエス様を待つ準備としての種 「段取り八分」という言葉があります。何か行動や仕事を行う時に、事前にしっかりと準備をしていると、その行動や仕事の八割が完了していると言う意味のようです。何をするにしても、前もって準備、心づもりをしていると安心に取り組むことができます。しかし、そのようなことが分かっていてもうまくできる人、そうではない人がいるということも事実です。様々なできことが迫ってきて、慌ててしまう...
王であるキリスト (ヨハネ18・33b〜37)
- 2015/11/20
- 07:52
「わたしの声に聞き従う」という種 典礼では、『待降節第1主日』から新しい年となり、最後の週は、『王であるキリスト』で終わりとなります。週日の典礼でも、この『王であるキリスト』に近づくにつれて【終末】について黙想するようなみことばが読まれます。本日祝われる『王であるキリスト』を黙想することで、私たちは、1年間を通して黙想してきた「キリストとは、私たちにとってどのようなお方なのでしょうか」ということを...
年間第33主日 (マルコ13・24〜32)
- 2015/11/14
- 07:26
「今を生きる」という種 私が高校生の頃でしょうか、「『ノストラダムスの大予言』の中で1999年7月に世の終わりが来るということが書かれてある」ということが同級生の中でよく話題になっていました。確かに、世界の歴史を見ても、日本の歴史を見ても、「これが終末ではないか」ということが、何度か起こっています。しかし、それでも今の世は終わっていません。確かに、私たちの中では、世の終わりがいつ来るのかと言うことへの...
年間第32主日 (マルコ12・38〜44)
- 2015/11/06
- 07:21
「神に捧げる姿」という種 教皇フランシスコは、2014年11月23日から2016年2月2日までを「奉献生活の年」とされました。これを機に各教会や修道会でも「奉献生活の年」についての勉強会やシンポジウム、研修会などが行われていると思います。 奉献生活者は、それぞれの修道会の中で修道誓願を宣立し、自己を三位一体の神様に、また、教会や社会の人々に捧げて行く人々のことと言ってもいいでしょう。しかし、さらに一歩進んでもっ...