年間第13主日 (マルコ5・21〜43)
- 2015/06/26
- 05:45
イエス様に【触れる】という種 私たちは、意識してイエス様に【触れて】いるでしょうか。私は、一度だけイエス様に【触れた】ことがあります。それは、ある1週間の「年の黙想」で「ゆるしの秘跡」を受ける時でした。私は、何人かのブラザーやシスターたちと小さな和室の聖堂で、糾明」をしながら、自分の「ゆるしの秘跡」の番が来るのを待っていました。次が私の番となったとき、どうしても「まだ、行きたくない」という思いに駆...
年間第12主日 (マルコ4・35〜41)
- 2015/06/19
- 07:23
信頼と希望という種 私たちは、「人生は山あり、谷あり」という言葉を耳にするのではないでしょうか。私は、以前は年に数回、山登りをしていました。当然山登りは、山頂に行くまでが辛いものです。しかし、山頂に登った時は、途中の苦しみを忘れるような気持ちになります。そして、山頂で食べるおにぎりやカップラーメンのおいしいこと。 時折、私たちの目の前に「山」や「壁」があったりいたします。例えば、それは、「病気、難...
年間第11主日 (マルコ4・26〜34)
- 2015/06/12
- 06:10
「成長はおん父の働き」という種 私たちにとって、成長を見守るというのは、とても喜ばしいことではないでしょうか。たとえば、親が子どもの成長を見守ること、上司がスタッフの成長を見守ること、1つの企画が成果や成功をするのを目にすること、自分が飼っているペットや植物がするのを目にすることなど、それぞれの【成長】の過程や、成果物を見るとき、そこに、喜びが伴って来ることでしょう。私は、以前「パキラ」という植物...
キリストの聖体 (マルコ14・12~16、22~26)
- 2015/06/05
- 05:44
「キリストと一体となる恵み」という種 初聖体前の子どもたちにとって、【聖体拝領】の時間は、とても興味があるのではないでしょうか。ある神父様が説教の中で「ミサを終えたお母さんに子どもが尋ねたそうです。『お母さん、ご聖体ってどんな味がするの』と。お母さんは、『ただのパンよ』と答えたそうです。また、別の子どもがお母さんに、『お母さん、ご聖体ってどんな味がするの』と尋ねたそうです。そのお母さんは『とても甘...