受難の主日(枝の主日) (マルコ15・1〜39)
- 2015/03/27
- 07:55
いつくしみの愛を想うという種 私たちにとってイエス様とは、どのようなお方なのでしょうか。私たちは、福音書を通してイエス様がどのようなことを教えられ、人々を癒し、奇跡を行われたかということを知ることができます。では、【私】にとってイエス様は、どのようなお方なのでしょうか。例えば、厳しい方、優しい方、いつも側にいてくださる方、一緒に喜び、泣いてくださる方など、いろいろなイエス様の捉え方があることでしょ...
四旬節第5主日 (ヨハネ12・20〜33)
- 2015/03/20
- 07:30
おん父の【栄光】という種 私たちは、「主の祈り」「マリアの祈り」そして、「栄唱」を度々唱えます。この中の「栄唱」は「栄光は、父と子と聖霊に、始めのように今もいつも、世々に至まで。アーメン。」いう祈りです。この祈りは、「三位一体の栄光が、天地を創造した時から、いま、私たちが行きている生活をしている現在を経て、未来に至まで続いている」と言ってもいいでしょう。では、この栄光とは何なのでしょうか。 きょう...
四旬節第4主日 (ヨハネ3・14〜21)
- 2015/03/13
- 08:02
「祈っているよ」という種 私たちは、友人や知人が困っている時、病気の時、頼み事をされた時などに、「お祈りしますね。」と言ったり、または、私たち自身が彼らから、「お祈りします」と言われたりしたことがあるのではないでしょうか。私たちは、この「お祈りします」と言われた時、心から喜んだり、安心したりするのではないでしょうか。この「祈ります」という言葉は、「愛しています」という言葉に置き換えることができると...
四旬節第3主日 (ヨハネ2・13〜25)
- 2015/03/07
- 09:03
私の中の神殿を見つめ直すという種 典礼は、四旬節第3主日を迎えます。マラソンに置き換えると、折り返し地点に差し掛かったとも言えるでしょうか。『教会の祈り』の中にある「始めの祈り」の交唱は、「今日神の声を聞くなら、神に心をとじてはならない」となっています。きょうのみことばの中で、イエス様は、私たちにどのようなことをお話しになっているのでしょうか。 きょうのみことばは、イエス様が神殿の境内で商売をして...