死者の日 (ヨハネ6・37〜40)
- 2014/10/31
- 07:25
「信じる」という種 『歎異抄』の中に「善人さえ助かるのだから悪人はなおさら助かる」という言葉があります。この言葉を聞いたときに「エッ どおして?」と疑問を感じる方は、多いのではないでしょうか。私たちは、どうしても自分自身を中心に考えてしまいます。例えば、「神様は、自分を愛してくださるのは、分かるけれど、自分に敵意を表しているあの人も、神様が愛しているとは、理解できない。」というように、自分自身を中...
年間第30主日 (マタイ22・34〜40)
- 2014/10/24
- 07:21
「“愛”がいちばん」という種 日本のことわざの中に「人の振り見て我がふり直せ」というものがあります。これは、「相手の悪い所を見たときに、その人の悪い所を指摘するのではなく、まず、自分も同じようなことをしていないかと省みること」というような意味ことわざです。別の似たような言葉では、「反面教師」という言葉もあります。私たちは、ついつい自分のことは棚に上げておいて、相手の悪いとことを批判しがちな傾きを持っ...
年間第29主日 (マタイ22・15〜21)
- 2014/10/17
- 07:33
ライバル心の有効活用という種 私たちは、時々自分と周りの人を比べてしまうことがあります。そのこと自体は、別に間違いではありません。それは、相手を“ライバル”として目標にし、頑張ろうとするエネルギーになります。しかし、良い方向に転じるのではなく、逆になってしまうとそれが、“妬み”となってしまいます。最初は、「ああ、いいな、羨ましいな」という軽い気持ちが、やっかみになり、“妬み”になっていくのです。そこから...
年間第28主日 (マタイ22・1〜13)
- 2014/10/10
- 05:24
「慈しみの愛に気がつく」という種 ことわざに「親の心、子知らず」という言葉があります。このことわざは、「親は、子供のことを心配しますが、子供は親の心配など気にせずに自分の好きなことをしている。」という意味です。イザヤ書に「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の腹にいた子を憐れまないだろうか。たとえこの女たちが忘れても、このわたしはお前たちを忘れない。」(イザヤ49・15)と書かれてあります。このイ...
年間第27主日 (マタイ21・33〜43)
- 2014/10/03
- 11:22
「ただ神のうちに」という種 私たちは、誰でも「幸せ」を望んでします。しかし、本当の「幸せ」は、どのようなものなのでしょうか。お金を持っていること、権力を自由に使えること、人々から特別視されることでしょうか。もちろん、それなりのお金も必要ですし、時には、何か仕事を進めるためには、権力も必要でしょう。しかし、私たちにとって「幸せ」とは、「おん父の『いつくしみの愛』に包まれていること」だと思うのです。詩...