年間第26主日 (マタイ21・28〜32)
- 2014/09/26
- 06:03
「ありのままに生きる」という種 私たちにとって、「ありのままに生きる」ということとは、どのようなことでしょうか。意外と簡単なようで実際は難しいのかもしれません。自分では、「ありのままに生きたい」と思っていても、どうしても周りの目を気にしてしまうことがあります。ある時、「あなたは、あなたなのです。無理することはありません。ブラザーだから、『こうしなければならない』という気持ちから離れてみてはいかがで...
年間第25主日 (マタイ20・1〜17)
- 2014/09/19
- 11:26
主と共に働く恵みという種 私がまだ20代半ばの頃にある事情で修道院を離れ、実家に帰ったことがありました。最初の頃は、休み気分でいたのですが、さすがに1ヶ月も過ぎると何もせずに家にいるのに違和感を感じてきました。それで、生まれて初めて職業安定所に行ったのです。自分ができそうな職業のファイルをめくり、一つの印刷会社を見つけ、その場で先方に電話をしました。電話に出た方は、「では、翌日履歴書を書いて来てくだ...
十字架称賛(ヨハネ3・13~17)
- 2014/09/12
- 22:06
十字架は愛おしいという種 十字架は、歴史を通していろいろ変わってきました。最初の頃は、十字架の上には、神の子の姿を描くということが畏れ多いと考えられイエス様のお姿が描かれていなかったようです。その後、少しずつ変わってきました。宝石や金、銀などの装飾を付けて王であるキリストを象徴したり、逆にキリストのご受難を全面に出したりしているような十字架もありました。今では、ご復活されたキリストなどさまざまなイ...
年間第23主日(マタイ18・15~20)
- 2014/09/05
- 10:46
私たちの友という種 教皇フランシスコが出された使徒的勧告『福音の喜び』の第3項に「……主にかける者を主は失望させません。小さな一歩であってもイエスに向かって歩み出すならば、イエスが両手を広げてその到着を待っていることに気がつくでしょう。……つねに神は、倦(う)むことなくわたしたちをゆるしてくださいます。かえってわたしたちのほうが、神のいつくしみを求めるのにうんざりしてしまうのです。……」と書かれてありま...