四旬節第4主日 (ヨハネ9・1〜38)
- 2014/03/28
- 22:08
「イエス様なら」という種 典礼は、四旬節の折り返しに入りました。私たちは、この四旬節をどのように過ごそうと決心したでしょうか。今一度思い返してみることもいいかもしれません。もし、まだ、決められていない方は、「おん父なら、イエス様なら、どうされるでしょうか。」ということを考えてみてはいかがでしょうか。日常の生活の中を、“おん父の目”“イエス様の目”で見て、考えていくのです。 ある人が「同性愛を認めるので...
四旬節第3主日 (ヨハネ4・5〜42)
- 2014/03/21
- 14:10
真の出会いという種 私たちは、多く人との出会いをいたします。それらは、学校や、ご近所の付き合い、仕事関係や趣味、教会などの勉強会などで、たくさんの人との出会いがあります。最近では、FacebookなどのSNSを使っての出会いもあることでしょう。茶道の言葉の中に「一期一会」と言うものがあります。この出会い、この時は、一生に一回限りの出会いですから、一生懸命おもてなしをしましょう、というような意味のようです。そ...
四旬節第2主日 (マタイ17・1〜9)
- 2014/03/14
- 06:15
耳を傾けるという種 私たちは、視覚や聴覚そして臭覚などによって色々な情報を得ることができます。この他に、味覚や触覚など加わるとさらにその情報や感覚が記憶として残ります。例えば、新聞のチラシを見てそこに出ている商品の中で気に入ったものを選ばれたり、また、映画館で本編が上映される前に映し出される予告やパソコンの予告動画などを観たりして、この映画を観たいと思ったことはないでしょうか。このように、視覚や聴...
四旬節第1主日 (マタイ4・1〜11)
- 2014/03/07
- 09:03
ただ、主のみに仕える。という種 典礼は、四旬節に入りました。ミサの中で神父様が着られる祭服の色は、緑から紫に変わり、祭壇を飾っていた花も少しだけ、華やかさがなくなった感じがいたします。私たちは、この四旬節を通してどのように復活を迎える準備をしたらいいのでしょうか。何かを犠牲する、あるいは犠牲しなければいけない、というのでは、せっかくの四旬節が苦しいだけの季節になるのではないでしょうか。むしろ、イエ...